夏目漱石は、文芸上の真実とは、真実であるという風に聞こえることが大切であり、科学的な真実との一致が重視されない場合もあるだろうと言っています。
世の中には、事実らしくない信じられない事実がたくさんあります。
信じてもらえない事実を見つけたときに、占い師には文芸と同じ立場をとる権利はあるのでしょうか。
占いの目的や役割はたくさんあるでしょうが、信じてもらえないことには何も始まりません。見向きもされない占いほど無意味なものはありません。
その占いが最低限の信を得るためなら、嘘ではなく伝え方というレベルで、多少の表現上の工夫はあっても仕方がないと思います。たおやかな彼女の内面に秘められた野蛮さについて説明して、クライアントとケンカをする必要はないでしょう。
そうはいっても、「男性が若い女と一晩過ごしたのに何もなかった」というような場合、その真実は当然に棄却されるべきものではなく、占いが最も拾わなければならないものであると思います。
その場合は、占い師は自分の信頼を失うことを覚悟してでも、その真実を熱弁しなければそれこそ無意味です。
文芸の目的が、伝えるべきことを臨場感とともに伝えて情緒を喚起することなら、占いが目的とすることは、必要な真実を伝えて幸福を呼び寄せることであるべきと思います。
そうだとするなら、占いはクライアントが心配していない恋人の浮気を暴いてはいけないと言うこともいえるかもしれません。