西洋占星術の専門家にとっては、古代の天文学がいかに優れたものであったかはなじみ深いことと思います。かつて分厚い雲に覆われていた地球ですが、あるときにその雲が晴れて星が見えるようになったことから季節と日付の概念が明瞭化し、そこから人類の文明が始まったという説があります。今回は、古代の人がカレンダーにかけた思いに触れてみましょう。なお、メトン周期とサロス周期は直接の関係はありません。
メトン周期
メトン周期とは、紀元前433年に古代ギリシャはアテナイの数学者であるメトンによって発見された周期です。太陰太陽暦の誤差を修正するために発明されました。同様のものが中国でも発見されており、中国では章と呼ばれています。
月相と日付
メトン周期は、太陰太陽暦の誤差を修正するための周期であるといいましたが、具体的には太陰太陽暦の日付と、月相が重ならない問題を解決するために考案されました。いわゆる旧暦などの太陰太陽暦では、日付と月相が一致するというイメージがあると思います。つまり、満月は毎月15日で、最終日の「晦日」(つごもり=月籠もり)の次の日は「ついたち」(つきたち=月立ち)つまり新しい月が生まれる日であるという解りやすさが売りであるはずです。
月の周期の複雑さ
月の周期を元に日付を定めているのだから当たり前のようにも思えますが、実は満月から次の満月までの時間は、太陽が沈んでまた登るまでの時間、すなわち24時間の正確な倍数ではありません。しかも、月の軌道は意外と煩雑で、月相のサイクルは毎回同じではなく、およそ29.27日から29.83日という幅があります。
閏の設定! 置閏法
月相のサイクルの複雑さを吸収して、日付と月相を一致させるために、あるタイミングでカレンダーに追加の一日を加える方法を置閏といいます。今日でいう閏年と同じ考え方です。この置閏をどれくらい行えばよいかを考えたときに、19年に7日分の置閏を行えば、平均して日付と月の形が一致するという事実がわかりました。これがメトン周期なのです。
サロス周期
サロス周期は、西洋占星術のふるさとである、古代バビロニアのカルデア人によって発見されたと考えられています。プトレマイオスやヒッパルコスの文献にもこの概念は登場することから、極めて古い時代に成立していたことがうかがえますが、正確な歴史はよくわかりません。17世紀になって彗星で有名なハレーが、この周期を改めてサロス周期と名付けました。
日蝕の予想
これは何の周期かといえば、日蝕を予想するための周期です。日蝕を予想することは、かつてはとても大切なことでした。この天文ショーには、地域ごとに特別な意味づけがなされて重要視されていたのです。中国では、日食の予想を怠った天文観測者が処刑されたこともあるそうです。
西洋占星術における日蝕
占星術をやる人なら、月と太陽がコンジャンクション(すなわち新月)であって、かつそれが、太陽の通り道である黄道と月の通り道である白道の交点で起こっている場合に日蝕が起こるという方がわかりやすいと思います。なお、黄道と白道の交点はドラゴンテールとドラゴンヘッドです。ホロスコープを回してみるとわかりやすいと思いますが、実際これは、それほど珍しいことではなく、年に二回くらい起こる出来事です。
自分に見える日蝕こそが問題
地球規模で見たとき、日蝕は決して珍しいことではありません。177日に一度は、日蝕が発生しています。しかし、古代人にとっての地球は狭いものではありません。カリブ海で起こる日蝕は、古代ギリシャの人々にとっては、発生してないのと一緒です。当然ながら古代人は、自分の住んでいる地域での日蝕しか観測できないのです。
そこでいろいろと計算した結果、太陽と月と地球の位置関係が一緒になるサイクルが、18年と11日と8時間であることを発見しました。これがサロス周期です。このサロス周期はとても正確に日蝕を予言します。しかしながら、この周期は地球の自転を考慮していないため、端数の8時間が邪魔になります。つまり、日蝕があっても現地が夜なら結局見えません。そのため実用上は、サロス周期を3倍して54年サイクルとすると、古代人にとって都合のよい日蝕の計算式なったようです。