占い師の五十六謀星もっちぃです。今回は日本の歴史に残る偉大な作家、芥川竜之介のホロスコープを詳しく解説してみたいと思います。海外でもよく知られる日本の大文豪ですが、なかなかお札の肖像に選ばれることがないのが不思議です。繊細なイケメン作家、芥川竜之介の魅力をホロスコープから探ってみましょう。
ホロスコープの全体像
毎度のことながら、ホロスコープの計算はオリジナルソフトのProphetessクラウド版を使用しています。芥川竜之介のホロスコープを、占星術の基本に則って順番に解読していきましょう。
出生について
芥川龍之介の出生に関しては、辰年の辰の日辰の刻に生まれたことから竜之介という名前をつけたとする資料があります。それを信頼して今回の検証では、芥川の修正情報を1892年3月1日の辰の刻(間をとって8時)としました。
天体のバランス
天体全体のバランスについて、四大元素のバランスについては目立った偏りはありません。しかし、三区分については、ミュータブルサインが7つと、大きめの偏りがあります。これはこのホロスコープの中ではそれほど重要な項目ではないかもしれませんが、周囲の環境に対する過敏さを示しているといえましょう。腹が痛いからここまでにするという言葉で締めくくられるエッセイがあるくらい腹痛を起こしやすかった芥川の繊細さが現れているように思います。
主要天体のサイン状況
魚の太陽と月が牡羊であるという組み合わせは、芥川の繊細な作家としての側面と照らしたときに違和感を感じる人がいるかもしれません。実際芥川は、ぼんやりとした不安という曖昧な理由で自ら人生に幕を下ろしてしまうわけですから、牡羊の月という活動性はしっくりきにくい部分があります。しかし、個人としての芥川ははかなりせっかちだったようで、本を読むにしても周囲が驚くようなスピードで速読を行っていたといわれています。また、人と議論をする際には簡潔に要点をまとめることを求め、話がまとまっていない冗長な人を許さなかったそうです。
ホロスコープの特徴や着眼点
芥川竜之介のホロスコープを解釈する上でとても重要な点をいくつか考察してみましょう。
水星に向けられた二つのスクエア
芥川龍之介といえば作家ですので、太陽付近にある水星が、このホロスコープのサイン状況としては、最も重要であるといえましょう。この水星に対して双子の海王星と冥王星がタイトなスクエアを形成しています。これはシンプルにいえば言語表現に関する分野での苦労を表しています。作家である芥川に対して、言語表現の苦労などといってしまってはあまりに謇諤なことではありますが、ホロスコープとしてはそう解釈するしかありません。
実は作家のホロスコープには、水星に対してマレフィックが絡んでいる例が非常に多いのです。これは、文章表現における特別なチャレンジを示している場合もありますし、また文章を書くことによる生みの苦しみなどによって、心の闇を広げてしまう恐れを示していることもあります。芥川に関していえば、作家として優れた才能があったことは疑いのないことですが、しかし、それだけが生活の中心になってしまったことが彼個人の人生における不幸であったということを示しているのではないかと解釈します。
魚と牡羊の葛藤と
芸術家である芥川竜之介にとって魚の太陽は非常にわかりやすい感じがします。教科書に取り上げられる『羅生門』などの作品では、教育的に正しい視点で世の中に指摘をするような真面目さを感じ取ることもできますが、彼の価値観は相当にロマンチストであるといえます。結婚前に奥さんに宛てた手紙には、「君がお菓子なら頭から食べてしまいたい」などと書いている程です。まさに魚のロマンスと牡羊がもたらす率直さによって、こうした甘い言葉を恥ずかしげもなく出してしまうのでしょう。
芥川龍之介の死因
文学史研究では死因は不明としながらも、友人作家との金銭トラブルが自殺の理由の一つではないかと語られています。占星術の視点で見れば、これは月星座である牡羊と太陽星座である魚の対立に他なりません。友誼的な自己犠牲を司る魚の行動に流されてしまったことこそが、晩年の最大の問題だったのではないかと思います。牡羊の月を利用して、そんなことは知らないと、鋭く切り捨てて深く考えないようにしていれば、芥川は早すぎる自殺から救われたのかもしれません。
モーパッサンのホロスコープとの関係
芥川龍之介の作品には、しばしば「モオパスサン」に関する記述が見られます。二人のホロスコープを見比べてみると、火の太陽に水の月を持っているモーパッサンに対して、芥川は水の太陽に火の月という組み合わせを持っています。そしてその月がタイトな90度のスクエアを形成し、太陽もインコンジャクトになっています。もしも同時代の同じ国に生きていたら二人はライバル関係にあったかもしれません。モーパッサンの死の前年に生を受けた芥川は、『仏蘭西文学と僕』の中で、「モオパスサンは、敬服しても嫌いだった。」といっています。実はどことなく、自分の心のいやな部分を投影していた可能性をこのホロスコープが示しているように思います。